213 Vylder Vinck Taillieu @YGSA

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Architecten de Vylder Vinck Taillieu

@Y-GSA 2019/04/20

 a+u 561で特集されたベルギーの建築家ユニット.

それまで全く知らなかったのだが, そのドローイングに衝撃を受け,

その年のa+uでもっとも印象に残った号だった.

 

その彼らのレクチャーが母校YGSAで開かれるということで, 久しぶりに.

余談だがパワープラントスタジオの象徴だった煙突が撤去されていたのには驚いた.

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彼らのドローイングは, 抽象度の高いアクソメトリック, 色付き手描きタッチの線画,

 一見シュルレアリスム絵画のような色のある面のみで構成された立面パース,

いずれもミステリアスで想像力を掻き立てられる. (そして完全には理解ができない.)

冒頭にモデレーターを務めた妹島さんが, 「ドローイングに圧倒され, これはどこからどこまでが提案なのだろう」とコメントされていたが, まさにそれと同じ印象をa+uを見た時に受けた.

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今回のレクチャーでは実作の写真が中心で, これらのドローイングはあまり登場しなかったが, 紹介されたプロジェクトは大半がリノベーションだった.

古い邸宅や宮殿や工場など.

印象に残ったプロジェクトを2つほど.

レクチャーは通訳無しの完全に英語だったため, 正確に理解できてない部分もあるかもしれない.

 

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Rot-Ellen-Berg

古い邸宅, 内部が火災で焼失したようだ.

歴史を刻んだ外壁はそのまま残された.

彼らはここに, 新しい屋根と新しいフロアをインフィルした.

その新しいフロアは, 仮設材のようなむき出しのLGSと木組みで組まれ,

開閉可能なアルミサッシがはめ込まれている.

まるで廃墟となった遺跡を補修する仮設足場のように, それは古い壁面から意図的にオフセットさせて入れられている. 古い外皮と新しい構造の間の中間領域をデザインとして創り出すため.

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手前には古い暖炉がそのまま残り, 新しい構造材に囲いとられ,

その外には対比的に歴史的な古い構造が見える.

繰り返すが, これは工事中の写真ではなく竣工写真である.

この空間を住人がどのように使っているか, そんなスライドもあった.

 

 

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PC Caritas

古い宮殿か屋敷と思われる.

一帯が, 精神病院としてコンバージョンされた.

彼らはここでも, 古い外壁はそのまま残し, 鉄骨などで補強した新たなフロアを加えながら, 小さなガラスハウスを複数挿入している.

この新しいガラスハウスと, 古い外壁との間にある囲われた中間領域.

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ドローイングでも写真でも, そこには木が生え, 街灯が置かれ, まるで屋外の公園のようだ. 実際にここには太陽光も差し込み, 雨も降り注ぐのだという.

完全な室内が必要な時にはガラスハウスを使えばよく, それ以外はこの公園のような空間がメインとなる. そしてその公園は, 古い外壁に囲われた廃墟により創り出されている.

 

彼らのプロジェクトには, 歴史として現前する古い構造(=外皮としての外壁であることが多い)とそこに新しく挿入する軽い構造があり, それらの間に敢えてズレを生じさせることで, 非常に対比的な中間領域を生み出している, それが共通して根底にある気がした.

 

手前味噌となるが, 自分の卒業設計の際にしたかったことと通じるものがあると感じた.

y-sag.hatenablog.com

いずれにしても, より彼らの建築について強い関心を抱いた.

 

秋にギャラリー間で展覧会があるようなので, 是非またチェックしたい.

 

212 ローカルビジネスと建築(3)

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<おとなり otonari stand & works>
NishiikeMartで開かれた「としま会議」に参加した後、板橋区にも同じようなローカル会議があるということを知った。
この仕掛人は板橋宿商店街で料理人をしている永瀬賢三氏。「いたばし会議」だけでなく「いたばし空想地図」をコーディネートするとともに、板橋宿商店街にこの度新たにオープンした「おとなり otonari stand & works」の代表を務める。
先週末、その場所を訪問してみた。
 
After I attended to 'Toshima Kaigi' -a casual local conference of Tohima, at NishiikeMart,  I've gotten to know that, there is another local conference in Itabashi also. The key person of it is Kenzo Nagase, cook, who lives in Itabashijyuku shopping street. He is a coordinator of 'Itabashi image map' and 'Itabashi Kaigi', and also is the administrator of 'Otonari stand & works' which is a new community space in Itabashijyuku. Last week I visited his space.

 

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「おとなり otonari stand & works」は元々は大山乳業という牛乳配達店舗だったものをリノベーションし、今月3月にコミュニティのスペースとしてオープンした。
建物正面の元々広い間口はそのまま活かされ、商店街に対してとても開かれたカフェスペースになっている。5席程度と小規模だ。
カフェスペースの左側にはミーティングスペースという小部屋があり、ここの扉にはなんと牛乳保管用冷蔵庫の金属扉がそのまま再利用されている。
 
'Otonari stand & works' was a milk delivery store. It has been renovated and opened as a community space in this March. The front of the building; very open to the street, is a cafe space. On the left side is a meeting space separated from cafe by one big metal door -a former door of the refrigerator. 
 

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奥はコワーキングスペース。土曜の昼だったが、すでに満席だった。なぜかそこには3Dプリンターがあり、父娘がそれを使って工作をしていた。
永瀬氏によれば、「3Dプリンターカフェを作りたいわけではなく、コミュニティのための場所にカフェと3Dプリンターもあるという状態をつくりたい。3Dプリンターはそれ自体が目的物ではなく、このスペースの機能の一つとしてあって、たまたまカフェに来た人が3Dプリンタも使えることを知りワクワクするというような体験を生み出したい。」とのこと。つまりここにも「予期せぬ用途の混在」が仕組まれていて、先の二つの例とも共通する。
 
The inner part is a co-working space. It was a noon on Saturday, the seats are full. The space also has a 3D printer and a girl and her father were using it.
Mr. Nagase said, "I intended not to make like a '3D printer cafe', but a community space with cafe and 3D printer. 3D printer is not a objective, but one of a utility of the space." It is another 'unexpected mix of use'.
 
 
「いたばし空想地図」のことについても聞いてみた。
この原動力となっているのは、板橋宿あった「花の湯」という歴史ある銭湯の解体だったようだ。「花の湯」は107年にも渡ってこの商店街のとても魅力的なシンボルとしてここに建っていたが、やはり高齢化・後継者不在により廃業し、その後にはやはり普通の高層マンションとなってしまったという。この出来事が、彼を地域資源について考え、共有し、またそれらをアーカイブとして記録していくことへと急き立てたそうだ。
「花の湯」の下駄箱の鍵は、そのままコワーキングスペースロッカーの鍵として、記憶をつなげるように再利用されている。
 
Also I questioned him about 'Itabashi image map'. The motive of those his movements was a deconstruction of historical public bath 'Hana no yu' in Itbashijyuku. It was a very fascinating local symbol for 107 years but closed because of, and changed into very normal, high rise apartment. This incident urged him to share and think about the local resources and to record those into archives.

先例の日神山氏はインテリアデザイナーで、永瀬氏は料理人。専門は違えど、非常に似た意図を持った各自が動き、その後お互いを知り、地域間のつながりを作り始めている。それも自分の拠点とも非常に近い場所で。
もう一つ面白い事を感じている。もしこれが普通の店舗や飲食店やその他利益優先型のコワーキングスペース等だったとしたら、近接する同業他社として競合し排他的となるのに対し、ローカルビジネスの場合は排他的にも競合的にもならなそうだという点である。「地域を良くする」という共通のゴールがあるため、業態上、互いの登場を歓迎し、双方が支え合い強め合い協力し合うという関係になりやすいのではないか、と考えられる。
 
Mr. Hikamiyama is an interior designer, and Mr. Nagase is a cook. The profession is different from one another, however they independently move with the very similar intension, and then get to know each other and start to have a connection; near from my base. Also it is very interesting that, local business is not exclusive nor competing job. -If it is ordinary shops or restaurants or cafes or another profit-first space like co-working space, neighboring similar spaces are competing more.  But the real local business may support and reinforce each other, and glow together,  because they have the same goal, 'improve the local community'.
 
 
さて、建築都市分野以外からこのような動きが出てきている中で、改めて建築家ができることはなんだろうか?最近それについて強く考え始めている。
 
In these movements today, what could an architect do ?
I've just started to think about it strongly.

211 ローカルビジネスと建築(2)

自分の生活拠点がある池袋三丁目近辺。ちょうど豊島区と板橋区の区境にあたり、周りには古くからの町工場と商店街が残る。いずれもが高齢化と後継者不在の問題を抱えており、廃業し、土地売却し、マンション化される場所も少なくない。近くの休業していた銭湯もついに取り壊され、何の風情のないマンションが建った。

実は池袋三丁目には、あまり知られていないが魅力的な地域資源がたくさんある。しかし元気なコミュニティがあまりない。点々と個性的な活動はあるが、なかなかそれらは孤立していて繋がらないし、地域にも結びつかない。

こうした状況の中、自分が何かをできないか、地域の中に近隣の人が気軽に立ち寄れて学びの場・地域をつなげる場になる「小さな公共」を建築として作れないか、そんな考えを持ち始めたのが2018年秋のことだった。

I live in around north-west Ikebukuro. It is a boudary of Toshima and Itabashi, and there remains old small factories and shopping street. Both of them have a common problem of the aging and the absence of successor, and in many case, they will close, sell their land, and change into high rise apartments. 

In the north-west Ikebukuro has many facsinating local resorces which are not known very much. But there is no exuberant community. There may be several distinctive activities in point by point howevere, those are isolated and will not connect to the local communities.

In such a situation, that was late-2018 when I begun to think what I can do and to have an idea of making 'small public' as architecture which the neighbors can come in easily and which can be a space of learning and of community.

 

 

面白いもので、ほぼ時を同じくして、ここ豊島区および板橋区の池袋三丁目に隣接するエリアで、同じような想いを持って活動を進めていた人がいたようだ。それも別々に複数の場所で。

それらが2019年の春になって、ローカルな場所として具現化しつつある。まさに現在進行形の動きとして、是非ここで紹介したい。

The interesting thing is that, in very near area- Toshima and Itabashi, at the same time- mid2018-2019, with very similar sentiment, there were the parsons proceeding their movements; independently each other, at each district. And this Spring in 2019, their places are realizing as 'Local Community Space'. I'd like to introduce these current progressing movements.

 

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 <NishiikeMart>

谷端川緑道は椎名町から要町を通って板橋まで続く、かつての川を暗渠化した上にできた緑道公園である。その椎名町と要町のちょうど中間あたり、立教通り沿いに「西池マート」はあった。

かつてはマーケットで、おそらく複数の生鮮食品を扱う店舗が入っていたのだろう。長らく閉まっていたと思う。

上の写真は2019年1月に、自分がここを通りかかった時のものだ。

魅力ある造りの建物で、使われずに放置されているのはもったいないと思ったし、改修して地域コミュニティの場にできれば良さそうだけど、ここも近いうちに取り壊されてマンション化されるのかな、とその時は思った。

けれど内部では着々とその再生作業が進められていたようだ。

At the halfway of Shinamachi and Kanamecho, on a crossing of Rikkyo Street and the 'Yabatagawa Green Way', there is a 'Nishiike Mart' which was a market with many grocery stores into it, and has been closed for a long time. When I saw it in Janually 2019, it was like a photo -an attractive ruine, but at the inside, 'regeneration work' was steadly procceding.

 

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西池マートはクラフトビールをつくるブルワリー'NishiikeMart'として生まれ変わった。正直これには驚いた。

The market is converted to a craft beer brewery 'NishiikeMart'. It was a surprise.

 

nishiikemart.com

 

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椎名町で旧とんかつ屋をリノベした民宿「シーナと一平」、そこを運営する日神山晃一氏が仕掛人を務める。手前はここで醸造したビールを飲めるバー、そして奥には小さなギャラリーと、なぜか録音スタジオがある。 バーにはプレオープン中にも関わらず、多くの地域の人がふらっと入ってきて思い思いの時間を過ごしていた。

The key person is Koichi Hikamiyama who is a administrator of the hostal 'Sheena & Ippei' which was converted from Pork cutlet restaurant in Shinamachi. The front is a bar corner, and also in the back there is a small gallery space and a record studio corner. Though the term of pre-open, many neighbors came in aimlessly and spend time at there.

 

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なぜギャラリーや録音スタジオなのか。日神山氏いわく、何かそこに特殊な設備があれば、必ずそこを使う人が現れ、その場所が面白い使われ方をしていく、とのこと。「シーナと一平」でも1Fのカフェに置かれたミシンのおかげで、それを使いたい地域の人が訪れ、海外からの宿泊客との交流も生まれるそうだ。 

録音スタジオではネットラジオコレデイイノダラジオ」が収録され発信される予定。

Why does it has gallery and recording studio ? According to Mr. Hikamiyama, if there has some special equipment, surely appears someone who want to utilize it, and then the space will be used in interesting way.

In the ground floor cafe of 'Sheena & Ippei' there is a sewing machine which attract some neighbors and allow them to come in to use, and then the communication occurs between backpackers and the users. 

In the recording studio, 'korede iinoda radio' will be recorded and broadcasted.

 

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バーの奥に醸造タンクが並び、醸造の様子をガラス越しに見ながらビールを飲める。 既存の木組みの下に真新しく光る金属タンクが並ぶ様子は壮観。

醸造家の藤浦一理氏いわく、都内で、タンクを搬入できる1Fで、十分な床耐荷重があり(地下室は不可)、かつある程度の広さ・高さのある場所ということで、この場所にたどり着いたとのこと。

Behind the bar is a brewery. It is very fascinating view that new steel tanks are put under the existing wood truss. According to Kazuaki Fujiura, brewer,  they have got to there after struggling to find the place with following condition; in Tokyo, at ground floor which the tanks can be easily carried in, the strong floor enough to put tanks -having basement is NG, and having enough area and hight.

 

ビールも手作りなので完成まで時間がかかり、プレオープン期間が延び、正式オープンは4/21となった。 したがってまだプレオープン期間しか行けてないのだが、ここまでのところ、いわゆる「店舗建築」とは明らかに異なる全く新しい場所の雰囲気を感じるし、取り組み含めてそうした方向性を目指しているように感じる。

それは作り手や仕掛人との距離の近さもそうだし、この場所に元々あったものを変にカッコよくしすぎたりせず残しているというところも、また何より思いがけない用途をミックスさせることで、たとえここに飲食する目的無く来た人でも気軽に入ってきて何かを得られる場所になっているというところも、ここまでに共通する特徴である。

The opening date has been extent to 4/21, due to handmade of the craft beer.  So only in pre-open term I've visited there, at this point, I think it is a totally new place very different from 'the commercial architecture', and think it go towards a 'new direction', from the concept and the operation. These features are common in this 'new direction',

・The intimacy of the maker and the visitor

・The way of renovation respecting the history of existing

・The unexpected mix of functions and a space easy to come in

 

つづく

210 ローカルビジネスと建築(1)

Facebook上に「ローカルビジネス」が増えているように感じる。

「ローカルビジネス」、今のところの英語訳は「brick-and-mortar business」。

オンライン上の店舗に対して、レンガとモルタルで作られた、つまり実在店舗によるビジネスを意味するようだ。

You may notice that on facebook the 'Local buisiness' spots are increasing nowadays. 'Local Buisiness'.  In English (at that point), 'Brick-and-Mortar Buisiness'. That says the Real Shops, against the Online(=unreal) Shops.

Tu puedes notar que en facebook, las paginas de 'Local buisiness'  estan aumentando hoy en dia. 'Local Buisiness'. En ingles 'Brick-and-Mortar Buisiness' . Se significa las Tiendas Real,  en contra de las Tiendas Online.

 

「ローカルビジネス」という言葉も「brick-and-mortar」もそれを正しく言い表せているかはさておき、2018年頃から自分の住む池袋にも、その他の地域にも共通する動きとして、徐々に目立ちつつある。

不思議なもので、誰かが始めてそれを真似するように後続が現れていったというよりは、同時発生的に様々な地域で、ある一つの類似する想いから始まっていき、それが完成してみたら他の地域にもあったというような状況のように感じる。

 The words may not be the exact meaning, anyway from the begining of 2018, in Ikebukuro and the other citys, this kind of movements are appearing gradually. The interesting thing is that, these movements are occurring simultaneously in several district, begun from one similar sentiment, rather than are the imitations of some one success.

 Las palabras pueden no ser significado exacto, de todos modos, desde principios de 2018, en Ikebukuro y otros ciudades, este tipo de movimentos estan apareciendo gradualmente. La cosa interesante es, estos movimentos estan ocurriendo simultaneamente en varios distritos, se han comenzado a partir de un sentimiento similar,  en lugar de son las imitaciones de algun exito.

 

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<喫茶ランドリー>

自分の認識している限りでは、都内では2018年初めの喫茶ランドリー(墨田区両国)開業がこうした動きの皮切りのように思う。調べるとオープンしたのは2018年1月のようだが、2019年2月に訪問した時には既に近隣住民の交流場として非常に賑わっていた。

利用者はもとよりカフェ店員などの運営も近隣住民が行なっているとのこと。

 レンタルスペースやコミュニティカフェなど、似たような用途のものはその前から存在していた。それらとの一番の違いは、多用途がミックスされており、且つよりその地域の生活に対してフォーカスされているというところだと思う。

活動は多様であるが用がなければ立ち寄りづらいレンタルスペースと、立ち寄りやすいけれど商店建築寄りになってしまうコミュニティカフェの、長所を合わせ、短所を補ったような形態ともいえる。

 As long as I've noticed, in Tokyo, the opening of 'Kissa Laundry' in Ryogoku in the early-2018 may be the beginning of these movments. When I visited there in Februaly 2019, already used by many local residents and has been a great community space.

The similar facilities like 'rental space' or 'community cafe' existed before. The big difference from those is that, mixed use of functions and focused on the life of its district. Having various activities but 'rental space' is difficult to non-purpose visit. 'Community cafe' is easy to visit but more being 'commercial'. This space is a combine of the good points of the both, making up for the disadvantage each other .

 Desde que me he dado cuenta, en Tokio, la apuerta de 'Kissa Lavanderia' en Ryogoku, a principios de 2018 puede ser el comienzo de estos movimentos. Cuando la visite en Febrero de 2019,  ya usado por muchos residentes locales y ha sido un buen espacio comunitario.

 Como 'rental space' o 'community cafe', la facilidad similar existaba antes. La differencia difinitiva de estos es, usando mixto de funciones y enfocando en la vida de su barrio. Aunque teniendo varios actividades, es dificil a visitar 'rental space' sin-proposito. 'Community cafe' es facil a visitar, pero se es mas de 'commercial'. Este espacio es la union de los buenos puntos de los dos, compensando la desventaja entre si.

 

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喫茶ランドリーは訪問した時には大部分がカフェ利用のお客さんだったが、奥のスペースではお母さんたちが少人数でワークショップをしていたり、ランドリーで洗濯をする横で近所の子供たちがゲームをしていたりと、その場所の生活に根付いている印象を受けた。

When I visited 'Kissa Laundry', most of the visitors are using cafe, but at the part, a small group of mothers was doing workshop in the back, and some children in the neighborhood played game beside of the laundry. There is a impression of rooting strongly to the life of the neighborhood.

Cuando yo visite a 'Kissa Laundry', la mayoria de los visitantes son usando la cafe, pero en la parte, un grupo pequeno de madres estaba haciendo workshop en la espalda, y los ninos en el vacindario jugaba game al lado de la lavanderia. Hay una imprecion de arraigando fuertemente a la vida del barrio.

 

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この場所(両国)でもう一つ特徴的だったのが、道を歩いていた時には全くそんな居場所も人の気配も感じられない地域ということだった。(アプローチする時に本当にこの道で合っているか不安になったほどだ。)

グリッド状に整然とした幅員の広い車道と、全く人の顔の見えない高層マンションたち、店すらほぼ見当たらない。

しかし一見こんなコミュニティの砂漠に見える場所でも、喫茶ランドリーのような場所ができると住民が集まり利用もするし運営もする。このようなコミュニティや居場所が渇望されていたのではと思うほどだ。

Another charasteristic thing of the site is that, it seems no communities nor activities of the neighborhood, on its street. The street was wide, tidy in the grid, with many highrise appartments where you can't see those faces of residents, you can't find any shops there. Even though such site like 'the desert of community', residents come and meet up or operate the place; like 'Kissa Laundry'. Also I guessed that, those residents eager to having such a community space.

Otra cosa caracteristica del sitio es que, en la calle, se parece no communitarios ni actividades del bacindario. La calle era ancha, ordenada en la cuadricula, con muchos appartamentos altos donde no puedes ver las caras de los residentes, y no puedes encontrar algunas tiendas alli. A pesar que un sitio como 'el desierto del communitario', los residentes vienen y encontrar  o lo operan, al lugar como 'Kissa Laundry'. Tambien yo pienso que, aquellos residentes ansiosos por tener un espacio communitario como esto.

 

つづく

209 『現代の二都物語』 著:アナリー・サクセニアン

bookclub.kodansha.co.jp

副題は「なぜシリコンバレーは復活し、ボストン・ルート128は沈んだか」。

アメリカの二大ハイテク産業都市の1970年代〜90年代の対照的な発展/衰退の地域ネットワークの観点から分析である。

 

1970年代に軍需産業による発展、スタンフォード大学マサチューセッツ工科大学という地域産業を引っ張る大学の存在、半導体産業とミニコンピューター産業、そして1980年に迎えることになる産業構造変換による衰退と危機。

非常に似た地域資源・歴史を持つ2都市にも関わらず、1980年代後半にはシリコンバレーは目覚ましい復活を遂げ成長していったのと対照的に、ボストンではその衰退がそのまま進んで行った。

何がその違いを生んだか。

序章で以下のようにまとめられている。

シリコンバレーには地域ネットワークをベースにした産業システムがあり、・・・様々な関連技術の専門企業同士が集団で学習したり柔軟に調整を進めたりできる。社会ネットワークが細かく張りめぐらせているうえ労働市場もオープンなので、実験的な試みや起業家活動が促される。企業は、激しく競争しながら、同時に非公式なコミュニケーションや協力を通じて市場や技術の変化について互いに学びあう。横のつながりを重視するゆるやかな結びつきの組織・・・ネットワーク型システムでは、・・・社内の職能間の垣根はすこぶる風通しがいい。企業と企業の垣根も、企業と業界団体や大学など地域の組織との垣根もそうだ。

「学習」「学びあい」、少し暗喩的だがこれは知財の共有とアップデートをさす。企業や大学は時に最新鋭の設備を導入し、それをオープンなものとした。技術者同士では企業の垣根を超えてコミュニティカレッジやクラブ(溜まり場)など公式・非公式問わず意見・情報交換 が頻繁に行われた。一つのプロジェクトを終えたら、新しいプロジェクトに取り組む為に転職することも日常茶飯事だった。

こうした流動的なネットワーク型システムによりシリコンバレーは新しい技術にも柔軟に対応していったとのことだ。

 

それに対しルート一二八では、少数の比較的独立性の高い企業が圧倒的な力を持っている。・・・研究、設計、生産、販売などの機能の垂直統合を進めて生産活動の多くを社内でまかなってゆく独立企業をベースにした・・・いわば自己完結型企業の集合体となっているのだ。企業の組織はピラミッド型で、権限は中央に集中していて情報はほとんどの場合縦に流れる。・・・独立企業型システムでは、当然ながら、企業間や企業内の垣根も、企業と地域の組織との垣根も、ネットワーク型システムに比べはるかにしっかりしている。

シリコンバレーが後進的な地域で伝統にとらわれなかったのに対し、ボストンはピューリタン文化がそのまま産業にも根付いていた。血統・家族を大事にし、会社への忠誠を大事にする、いわば終身雇用的な文化。

各企業は独立し、技術や知財もそれぞれが個別に全てを自給可能な体制、そして社内の知財は固く守られていた。

 

シリコンバレー半導体産業、ルート128はミニコンピューター産業で1970年代に成長を謳歌し一定の安定期に。しかし1980年代にある変化が起こり、この二都市はいずれも危機に陥った。半導体は日本からの安価・高品質な製品の流入ミニコンピューターはより小型のパーソナルコンピューターの出現。

いずれの都市も、1970年代後半には同じように安定期に入ったことで標準品安定供給のための大量生産と価格競争のフェーズに移行していた。そして変化に対応できず衰退が始まる。

 

既存の製品にかけるのは、ルート一二八の独立企業型産業システムの企業にとっては当然のことだった。・・・しかし、シリコンバレーの分散したネットワーク型システムの企業にとって、大量生産への移行は大きな方向転換だったはずだ。当時もてはやされていた・・・「習熟曲線」と「規模の経済」を取り入れてしまった。自分たちのダイナミズムにとって地域のネットワークがどれほど大切かということに気づかず、それを捨て去ればどんな代償を払うことになるかも予見できなかった。

 

シリコンバレーの企業も大手化して保守化し、イノベーションは起こりづらい状況が蔓延した。

しかしその状況に失望し、退社して新しい会社を立ち上げる若者たちがこの地域の新しい成長を作り出していくことになる。その一つがパーソナルコンピューターだ。そしてそのパーソナルコンピューターの出現が、今度はルート128のミニコンピューター産業を脅かすことになる。

 

ルート一二八のミニコンピューターメーカーの問題は、実際には業界を支配しようとする中で作り上げてきた自給自足のビジネスモデルそのものにあった。これらのメーカーは、シリコンバレー半導体メーカーと同じく、既存の製品に賭けて、安定した市場と技術を前提にした組織を作り上げていた。自分たちのいる業界はコンピューター業界であって、ミニコンピューター業界ではないのだという、・・・単一製品の世界観にしがみついていた。

 

シリコンバレーに新しく興ったコンピューター企業は、「専門化」と「分業・協力」をベースとして発展していった。まさに1970年代にこの地で半導体産業が発展した際のやり方が、形を変えて再生されたのだった。

 

大手メーカーは、ICの設計も、製造も、組立も社内で行なっていたが、新しいメーカーはほとんどが、設計、製造、マーケティングのどれか一つに的を絞っていた。・・・外部メーカーの手を借りることによって、小規模な半導体メーカーは、製造施設のコストと投資リスクを負担せずに、さまざまな工場を使って自社の設計を最高の形で製品にすることができた。外部の工場を使うことで、往往にして対応も速くなった。

 

この体制は、コンピューター企業と供給業者との関係にも新たな変化をもたらした。

 

 供給業者を、革新的なシステムを共同で設計、開発、製造していく「パートナー」ととらえるようになったのだ。こうした協力関係によって、顧客の側も供給業者の側も、さらに専門化をすすめ技術を前進させることができた。さらに、専門サプライヤーとの長期的な協力ネットワークのおかげで、コンピューター企業は、競争相手が簡単にはまねのできない強力な競争優位を獲得することもできた。

 供給業者を単なる下請けとしてではなく協力パートナーとして組み込むやり方は、相互の教育・イノベーションにつながっていった。

 

企業はまず、供給業者と長期的な事業計画を交換し、機密扱いの売上予測やコスト情報を相手に教えるところから、この変化をスタートさせた。・・・主だった供給業者は、新製品の開発計画のごく初期の段階から相談を受けることが多かった。実際の生産が始まる二年から五年もの前の、コンセプトを検討している時からだ。そして、設計と開発の全段階を通じて深く関わってゆくことになる。・・・早い段階から顧客と協力することで、供給業者の側でも、新しいシステムの必要条件に合わせて製品を作ることができたし、同時にシステム・エンジニアに部品技術の変化を知らせることができた。

 

こうして企業単体としてではなく、供給業者含めた地域全体が共に学び、新しい動向を吸収し場合に応じて形を変えていく仕組みができあがった。

こうしてシリコンバレーは1980年代の危機から見事に復活を遂げたのだった。

 

 

実は自分がこの本に出会ったきっかけは、ある方からの勧めからだった。

2019年3月、Tokyo DOCANというプログラムに参加し、ビジネスプランをつくりそのピッチを行う機会があった。

自分は、自分の住む家と近所の町工場・商店街に業態上・事業承継上・不動産変換上の問題点に着目し、「商工人のための学び・交流の地域密着の場をつくる」という発表をしたのだが、講評者 鈴木規文氏(ゼロワンブースター)から、この本について紹介いただいた。

 

 

読んだ感想として、

まず、シリコンバレーの場合はハイテク産業だが、そこで触れられている「設備・知財の共有」や「専門化と協力・分業」はとても町工場のネットワークに似ている。

周囲の町工場も、「ちょっとこの加工をするにはうちではできないけど、あの人のところにはその道具があるから借りにいく」というような非公式なネットワークがあった。非常にローテクではあるものの、性格としてはとても類似している。

商店街などはまさに「専門化と協力・分業」モデルである。対する自己完結型モデルはスーパーマーケットやショッピングモールということになるだろう。

唯一彼らに足りていないのは、やはり交流であり、学び合うネットワークである。それが欠けているためアップデートが行われない。相互学習がなければ井の中の蛙状態となり、気づけば時代から取り残される、というのが今の彼らの現状だと思う。

 

ピッチはわずか3分でなかなか全ての内容を伝えるのは難しかったにも関わらず、この本の推薦は的確で、とても示唆に富んだ書籍だった。

324 Crematorio/空気感とランドスケープ(3)

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葬祭場の内部へ.

クレバス状の細長い回廊.

窓は無く, 淡黄色気味のコンクリート壁を, トップライトからの光が洗う.

 

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矩形の礼拝堂.

無数に降り注ぐスリット状の光.

天空からの光が分厚い地を突き破ってそこに到達する様子はBell-llocの表現とも似ている.

 

f:id:y-sag:20160331152616j:plain方形の礼拝堂.

ここも窓は皆無.

浮かぶ光の箱が, 天空光を集めて部屋の中央へ放出している.

 

内部空間では風景に対するつながりというより, 光による天空とのつながり,

より精神的なテーマとなっている印象だ.

 

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 外界と遮断された内部空間から再度外界へ出る.

そのコントラストがあるからこそ, その場の空気感とランドスケープがより強められる.

しかしそれは完全なる自然礼賛ではない.

人工物と自然の間に生じるこの緊張とバランスこそが, RCR建築特有の空気感を生んでいると思う.

323 Crematorio/空気感とランドスケープ(2)

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水平性を強調する水盤, 無機質に建つ本体のコンクリートボックス.

回廊は, この湿地の風景をただ眺めるだけでなく,

その空気感の中に身を浸し, 気を整えるための境界.

 

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<中間領域>と言ってしまえばそうなのだが, 何かそれだけではニュアンスが抜け落ちてしまう. <コンテクスチュアリズム>という言葉も間違ってはいないが, それも完全に言い表すには物足りない.

そのランドスケープの空気感の中に滑りこまされ, その場所の空気感を顕在化させる, 新築の遺跡のような空間. (人造物でありながら閉じられていない不完全な形態物という意味で, ここでは遺跡という言葉を使う.)

 

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回廊のもう一方の端部は, 建物から出てまた湿地の先へと延びる.

 

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 回廊の末端部.

その先へもずっと平らな湿地が続いている.

単に将来拡張予定なのか, もしくはこの先は精神世界へ続くことを表現しているというのは深読みが過ぎるだろうか.

 

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