222 Structure-atmosphere-ecosystem(3)

街のあり方として、ローカルなエコシステムを形成することの重要性を前回述べた.

そして建築である.

 

脱線するといけないので, どういう内容に向かうか先に書いておく.

この一年, 様々な場を歩き体験した中で自分が感銘を受けた, この時代に適応したイノベーティブな空間にはいくつかの共通点があった.

・心地よいカオス (↔︎統一・高級感)

・無骨な痕跡の表出保存 (↔︎完成品)

・異なる活動の併存 (↔︎機能的な空間)

・視覚だけでない空間 (↔︎形態が主題の建築)

例えば, 写真だけで伝わるか分からないが,こんな空間である.

 

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これを単に, 流行りとかスタイルとかとまとめてしまうのは簡単かもしれない.

また, これらを建築として本質ではないインテリアや化粧の問題として捉えたり, 運営やソフトデザインの話として処理してしまったりするのは容易ではあるかもしれない.

けれど, どうして今日のイノベーティブな空間は共通してこれを求めるのだろうか, という問いに答えるのは, なかなか容易なことではないのではないか.

 

前述のエコシステムの視点からこれを考え, 本質的にその理由が何かを探ってみたい.

 

 

5. 生活者のアクティビティと空間とは

 これは10年前くらいからずっと言われ続けているキーワードだが「多様性」ということ. 前述した「生態系」とはまさに多様性である.

要するにこれまでの建築は, サービスAを受ける客のための空間, サービスBを受ける客のための空間, サービス提供者側の空間を完全に分け, それぞれに「ふさわしい」室礼を作り込んできた.

これは, サービスを受ける側・提供する側、生産者と消費者の二極的な構造を前提としている. 商業建築に限らず, 現状のあらゆる施設建築がこれに該当する.

 

これまでも消費者は生活者であった. ただ違うのは, 生活者は単に消費するだけでなく, 同時に生産元・発信元にもなりうるし, 休息もしうるということ.

だから, 生活者が単に消費者として振る舞う空間ではなく, 消費者としても生産者や発信者としても, あるいはただの休息者としても振る舞える, そして当たり前のように共存できる空間のつくり方が必要ではないか, ということである.

 

 

6.多様な森羅万象が息する場_Atmosphere

ここからが本題となる.

5のような様々な活動の共存はもちろん前提条件であるが, 建築の世界では10年くらい前からずっと言われてきたことで, そこまでの新しさはない.

極論するなら, 単に人(=利用者)の「活動」や「アクティビティ」を共存させるという観点では, 建築でもそれはできるが, 運営やソフトデザインでもそれはできてしまう. (しかも建築を作るよりずっと簡単に.)

 

今, 新しい建築を考えるにあたって, その目指すところは多様なものの「共存」のための空間である.

しかし, ここで「共存」する多様なものとは, 単に人と人や彼らのアクティビティだけの話ではない. 空気であり, 歴史であり, 記憶であり, 痕跡であり, 技術であり, 産業であり, 思想であるのではないかと思う.

ある空間に, 本来異質な多様なものをわざわざ共存させる力があるとしたら, それは空間の質以外の何物でもない.

 

八百万の神. かつての日本にはアミニズム信仰があった.

今の人々が無意識に求めているのは, 清潔だが無味乾燥な「製品」で設えられたピカピカの空間ではなく, いろいろな痕跡が残り森羅万象が息づいているような, カオスだが温かい, そんな空間なのではないかと思うのである.

 

つづく