307 自然と規律 Centro Cuisine②

空間としての質は高いのだが、どこかEl Croquisで見た時の高揚感と比べるとそれを超えてこない部分があった。
理由はシンプルで、新しい要素を挿入される側の既存城壁が綺麗になりすぎているのだ。


  
当然地元の石材を使用しているとは思うのだが、城壁の大半が新しい綺麗な石で置き換えられており、
「歴史ある古城の城壁とRCRが挿入した新しい要素」というコントラストや歴史・質感があまり感じられなかった。
城壁自体が復元されて新築部分と一緒に作り替えられたような感じである。
古い石垣がほぼ欠損していたのか、もしくは止水・衛生面での問題があったのだろうか。



同様の改修でもRCRの事務所であるEspacio Barberiは、そこがかつて工場だった当時の粗い煤を被った石積みの壁がそのまま残されており、
その粗い歴史のある質感と、新たに挿入されたガラスやスチール板の滑らかな質感とのコントラストが空気感を創り出していた。
それは冷たく、暗く、しかし艶やかで暖かみのある空気感だった。
ここでは新たに挿入された要素の言語は同じだが(むしろより洗練されているかもしれない)、
既存側に粗さや歴史がなく新築要素の一部となってしまっている。結果、あまりここには空気感が感じられなかった。
このことで、むしろ改めて、RCRの建築を成り立たせている要素が浮き彫りになった。


RCRの建築は、一方でミニマルでシンプル、そして非常に規律的である。
規律は構造から来ている。門形フレームの繰り返し、鋼切板の繰り返し、シンプルな構造が空間のリズムをつくり、
プランや建具から仕上げまで徹頭徹尾その規律が通され、独特な緊張感を生んでいる。
ある意味でクラシカルだが、構成要素を極限までミニマルとすることで現代的なものとなっている。


しかし、RCRの建築を語る上では、上記のような<規律>だけでは事足りず、それが<自然>と併置され混ざり合うことでようやく
完成するということを挙げねばなるまい。
ここで言う<自然>はランドスケープだけとは限らない。時には現前する歴史の遺物であったりもする。<自然>には規律がない。ないが故に不陸や凹凸があり、不均質性があり、劣化(経年変化)もする。<自然>はコントロールできない。だがRCRの建築は、このコントロールできない自然の中に<規律>をパッケージングすることなく放りこみ、
やがてそれらが同化していくのを待つかのようなあり方をしている。<自然>の中に露出した<規律>が共存する緊張関係、これが独特のコントラストと空気感を創り出している。


奇しくもRCRが今年プリツカー賞に選ばれたことで多くの人に認知されるところとなったが、多くの人はRCRをローカリズム
もしくはコンテクスチュアリズムの一種として認識していることだろう。
けれど短期間ではあるけれどRCRに身を置いた立場として、自分はどうもそれは違うと思っている。
言葉で書くと上記のようなことになるのだが、実際にRCRの建築空間とその空気感を体験するとその意味が正しく感じられるかと思う。