417 二つのガラスの家_Mies and P.Johnson(1)

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同時代の2つのガラスの家がアメリカにある.

ミースのファーンズワース邸とフィリップ・ジョンソンのグラスハウス.

いずれも名作住宅として数えられるが, そのつくりは一見よく似ている.

それもそのはず, フィリップ・ジョンソンはミースのファーンズワース邸計画案を見て触発され, このグラスハウスを先に完成, ミースはそれを見にきて激怒したという.

今回この2つを実際に見ることができた.

 

 

<周辺環境>

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ファーンズワース邸が建っているのは, 起伏のほとんどないイリノイ州の平地.

川の近くにあり, 敷地内にもその水景が入り込んでいる.

この立地が, ファーンズワース邸に度々浸水の被害をもたらしているのだが,

その建物はただ一つ, 単体でポツンと川と対峙するように置かれている.

それは住まい方への挑戦のようにも見える.

 

 

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一方のグラスハウス. 一番高い敷地のエントランスから谷に下っていくような, ニューケイナンの斜面中腹に建っている.

しかし, 単体の建物としてではない.

敷地内には8個のパヴィリオンが点在しており, グラスハウスはその中の一個に過ぎない.

しかもそれぞれのパヴィリオンはデザインもコンセプトもバラバラで, 隣接する1対の建物はそれぞれ真逆なコンセプトの空間として作られている.

グラスハウスの向かいにあるのが「ブリックハウス(レンガの家)」であり, 透過する空間と遮蔽された空間が一対になっているのである.

 

実はグラスハウスは, その「透過された空間」に住まうというよりは, 敷地内に点在したパヴィリオンを楽しみながら暮らす庭園的住まいというのが, その本質のように思う.

 

 

<連続性・透過性>

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一見, 透過性はグラスハウスの方がより高いように見える.

外から見た時, グラスハウスには中を仕切るものが全くない.

中央のバスルームのあるレンガ壁の円筒があるのみである.

 

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まったくオープンなユニバーサルスペースを, 背の低い置き家具で区切る方法は,

ミースがクラウンホールでやっていたのと同様である.

しかし, 中に入った時, どうもその透過性は感じられない.

連続感がないのである.

室内から屋外へと視線が向かう連続感も, 室内の空間から空間へと向かう連続感も.

 

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寝室側と居間側を仕切る置き家具がどうも強く, その「壁」を背にして「寝る空間」と「団欒する空間」が屋外に晒されているような, なんかそんな印象を受けた.

 

 

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一方のファーンズワース邸.

不思議なもので, 中に入った途端, 外との連続性をより強く感じる.

 

つづく

416 実像と虚像のブルックリン_Brooklyn

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ブルックリン.

このエリアが注目を集めるようになったのは2017年頃のことだっただろうか.

アンティーク+シンプルモダン, そしてクラフト感.

家賃の安さに惹かれて移住してきたクリエイターたちによって, 寂れて治安の悪かった旧工業地域は, クリエイティブな街の代名詞になった.

興味深いストーリー.

だから2019年NYを訪れた際に, 必ず立ち寄りたいエリアの一つだった.

 

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ただ, 実際に訪れてみると, 期待に相反して物足りなさを感じた. 少なくとも自分は.

もしかしたら, ここに暮らす人々のみが知る隠れたコミュニティポイントがあるのかもしれない.

が, 実際に自分が強く感じたのは, この街を蝕みつつあるジェントリフィケーションの波である.

 

 

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Bedford St.周辺. ブルックリンといっても広いが, この辺りがいわゆる中心街らしい.

もちろん, いくつか目を引く良質な空間も存在する.

 

 

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昼間から軒下で飲めるバー・スタンド, 倉庫を改修した天高の高いアパレルショップ, ひっそりとある工房.

いわゆる, 日本でもコピーされてるところのブルックリン像.

けれど, こうした場所は数えるほどしかなかった.

 

 

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ともかく至るところが大規模工事中だった.

それも, あまりワクワクするものができるような工事ではなさそうだ.

 

 

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つい最近完成したであろう, 閑静な高級住宅街.

入居は満室のようだ.

 

 

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これもつい最近完成したであろう, 商業テナントビル.

ブルックリンらしさの象徴であるレンガを外壁に模しているが, どこか安っぽい.

日本の郊外に作られた, 小洒落たショッピングモールのようでもある.

 

 

クリエイティブ層が集まるボーリング場を改修したバーがあるということで検索して見たら, もう閉店していた.

倉庫の屋根裏を改修して作られたフュージョンレストランも, 調べたら閉店していた.

 

 

ジェントリフィケーション.

もともと打ち捨てられた家賃の安い地域にクリエイティブ層が移住, 彼らが工夫しながら生活することでそこが刺激的な地域として認知される.

するとエリアとしての魅力に惹かれ多くの人が入居し始め, エリアの不動産的価値が上昇していく.

結果, 家賃が上昇し, もともと住んでいたクリエイティブ層はここに住めなくなり, 土地資産の上昇に目をつけたディベロッパーや不動産業者, そして富裕層のみがここを占有していく.

 

2017年からまだ2年しか経っていないのに, もうこの状態が起こっている.

ジェントリフィケーションは本当に恐ろしいと思った.

街の価値を上げたのはクリエイターたちのライフスタイルだったはずなのに, いつのまにかそれがイメージと利便性と不動産的価値に置き換えられてしまうのである.

それは, 本当の良さがあっという間に消費されてしまったと言ってもよい.

 

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夜, マンハッタンを対岸に臨む公園では多くの人がくつろいだりスポーツしたりしていた.ここから見たマンハッタンは, 静かで, こじんまりしていて, 世界随一の大都会には似つかわしくない,不思議なのどかさを感じた.

 

眺望と利便性.

いかにも分かりやすい価値で, ディベロッパーが好みそうな価値だ.

 

けれど, この街には多分つい最近まで, もっと特異でここにしかない価値があったはずなのだ.

 

 

ジェントリフィケーションによる本当の価値の消費.

地域に取り組むにあたって, 避けて通れない課題である.

223 Structure-atmosphere-ecosystem(4)

7.残存するもの/関係性を変えるもの_Structure

自然の生態系を読むように社会のエコシステムを読み解き,

そのエコシステムに接ぎ木するように空気感と構造をつくること.

先に書いてしまうと, これが多分自分が目指している建築なのだと思う.

 

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構造とは,まず第一に残存するものである.

時としてそれは, そこにあった過去の生態系の痕跡である.

また時として, 現代に合った生態系の営みを堅固に妨害するものにもなりうる.

新しい構造を導入することは, すなわち関係性を変えることである.

 

<生態系=エコシステム>が鍵となる時代の建築において, こうしたポジティブ/ネガティブの両極面を持つ構造との向き合い方, 「構造との対話」は主題だと言える.

 

どこを残して, どこを撤去するのか.

一見, 単なるリノベーション論にも見えるが, 建物単体だけの話ではないということを断っておきたい.

 

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どこを残すか.

そもそもなぜ残すかというと, それも生態系の一部になっている可能性があるからだ.

特に, もともと強い生態系のある(or あった)地域においては, 「残す」ということは避けて通れない主題である.

 

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どこを撤去するか.

撤去は慎重かつ大胆に. 

撤去すること=新しい構造を導入すること. つまり新しい関係性をつくることである.

時代の生態系に合わず, 生態系を停滞させている構造の部分を見つけ, それを変える.

それには生態系と既存の構造をよく見て, 対話することが必要となる.

 

面白いもので, 構造さえ整えば, あとは細かなチューニングをすれば空気感は自ずと醸成されていくものだ.

良い空気感が醸成され, そこに良い生態系が形成されていくかは, 実は構造が大部分を決めてしまうと思っている.

 

 

8.パッケージ化された生活からの脱却_Structure-Atmosphere-Ecosystem

よくよく考えて思い返してみると, いかにこれまでの我々の生活が「パッケージ化」されたもので, それが今存続の分岐点に来ているということに気づかされる。

「パッケージ化」された生活というのは, 要は個人個人の所有(=パーソナライズド)を推し進め, 自己完結を目指す生活であった. (更に言うと, 個人所有を推奨することで特定のメーカーがお金を巻き上げる仕組みでもあった.)

 

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ポストコロナにあって, 今二つの道が示されつつある.

一つは, よりこれまでのパーソナル化・パッケージ化を強化させる方向. (プライベートなテレワーク空間や空気清浄機能等を売りにした高級マンションなど.)

もう一つは, これを機に近接居住圏のエコシステムを見直して再編纂し, より良い近接居住圏を作っていこうという方向.

コロナ以前から, 時代は後者に動きつつあったが, その動きは加速しているように見える.

 

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社会の「生態系」は一見複雑であるが, 既にうすうすそれに気づいている人は多い.

それが如何に, パッケージ化された生活よりはるかに自由度が高く, クリエイティブであり, 人間的か, ということに.

 

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そして, 社会の「生態系」に接続するものとして建築を考えるなら, それは「パッケージ」から脱却して「構造」と「空気感」から成る建築を考えることに他ならない.

自由に「生態系」に接続できそして組換えもできる「構造」と「空気感」の建築を.

 

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締めが難解な文章となったが, まずは自分自身の11-1 Studioでこれを実践してみたい.

11-1studio.wixsite.com

 

222 Structure-atmosphere-ecosystem(3)

街のあり方として、ローカルなエコシステムを形成することの重要性を前回述べた.

そして建築である.

 

脱線するといけないので, どういう内容に向かうか先に書いておく.

この一年, 様々な場を歩き体験した中で自分が感銘を受けた, この時代に適応したイノベーティブな空間にはいくつかの共通点があった.

・心地よいカオス (↔︎統一・高級感)

・無骨な痕跡の表出保存 (↔︎完成品)

・異なる活動の併存 (↔︎機能的な空間)

・視覚だけでない空間 (↔︎形態が主題の建築)

例えば, 写真だけで伝わるか分からないが,こんな空間である.

 

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これを単に, 流行りとかスタイルとかとまとめてしまうのは簡単かもしれない.

また, これらを建築として本質ではないインテリアや化粧の問題として捉えたり, 運営やソフトデザインの話として処理してしまったりするのは容易ではあるかもしれない.

けれど, どうして今日のイノベーティブな空間は共通してこれを求めるのだろうか, という問いに答えるのは, なかなか容易なことではないのではないか.

 

前述のエコシステムの視点からこれを考え, 本質的にその理由が何かを探ってみたい.

 

 

5. 生活者のアクティビティと空間とは

 これは10年前くらいからずっと言われ続けているキーワードだが「多様性」ということ. 前述した「生態系」とはまさに多様性である.

要するにこれまでの建築は, サービスAを受ける客のための空間, サービスBを受ける客のための空間, サービス提供者側の空間を完全に分け, それぞれに「ふさわしい」室礼を作り込んできた.

これは, サービスを受ける側・提供する側、生産者と消費者の二極的な構造を前提としている. 商業建築に限らず, 現状のあらゆる施設建築がこれに該当する.

 

これまでも消費者は生活者であった. ただ違うのは, 生活者は単に消費するだけでなく, 同時に生産元・発信元にもなりうるし, 休息もしうるということ.

だから, 生活者が単に消費者として振る舞う空間ではなく, 消費者としても生産者や発信者としても, あるいはただの休息者としても振る舞える, そして当たり前のように共存できる空間のつくり方が必要ではないか, ということである.

 

 

6.多様な森羅万象が息する場_Atmosphere

ここからが本題となる.

5のような様々な活動の共存はもちろん前提条件であるが, 建築の世界では10年くらい前からずっと言われてきたことで, そこまでの新しさはない.

極論するなら, 単に人(=利用者)の「活動」や「アクティビティ」を共存させるという観点では, 建築でもそれはできるが, 運営やソフトデザインでもそれはできてしまう. (しかも建築を作るよりずっと簡単に.)

 

今, 新しい建築を考えるにあたって, その目指すところは多様なものの「共存」のための空間である.

しかし, ここで「共存」する多様なものとは, 単に人と人や彼らのアクティビティだけの話ではない. 空気であり, 歴史であり, 記憶であり, 痕跡であり, 技術であり, 産業であり, 思想であるのではないかと思う.

ある空間に, 本来異質な多様なものをわざわざ共存させる力があるとしたら, それは空間の質以外の何物でもない.

 

八百万の神. かつての日本にはアミニズム信仰があった.

今の人々が無意識に求めているのは, 清潔だが無味乾燥な「製品」で設えられたピカピカの空間ではなく, いろいろな痕跡が残り森羅万象が息づいているような, カオスだが温かい, そんな空間なのではないかと思うのである.

 

つづく

221 Structure-atmosphere-ecosystem(2)

3.生産-消費 二極構造の脱却_Ecosystem

 前回記事でも触れたが, Ecosystem=生態系 が今後のまちづくり・建築・ライフスタイルの鍵になると考えている.

y-sag.hatenablog.com

建築・まちづくりの文脈での「生態系」という言葉は, これまでも表れてきた.

例えば平田晃久の有機的な形態に代表されるような, 地球環境の中における生物学的な意味合いにおいて.

しかしここでは, もう少し人間の社会構造として, 街での生活のあり方・産業のあり方として, この「生態系」という言葉を使いたいのである.

 

Ecoは環境(Ecology)の略であると同時に経済(Economy)の略でもある.

ここでいう「生態系」は, 地域の環境のこと, 経済のこと,そして循環のことである。

前時代が, 生産者→消費者間の二極的な循環だったのに対し, これからはすべての生活者が各々<生産者・消費者>の両側面を少しずつ併せ持ち, 生み出したい物事に対してチームの構成員を柔軟に少しずつ組み替えることで対応するような, そんな時代になるのではないだろうか.

 

一つ示唆的な図がある。

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(かみいけ木賃文化ネットワークより)

 上池袋の木賃を活用したアーティストインレジデンスである「かみいけ木賃文化ネットワーク」. 風呂は銭湯へ, 交流は公園へ, というように「足りないものはまちを使う」という発想の暮らし方を提唱している.

暮らし方の提唱であると同時に, 地域を豊かにしていく提唱でもある.

「生活」を中心としたエコシステムの好例といえよう.

 

実は, かつて自分もYGSA時代にこれと似たようなイラストを描いている.

たしか, 新しい時代の建築とは断片化された都市体験のネットワークを作り出すためのものなのではないか, という趣旨のイラストだった.

y-sag.hatenablog.com

ただ改めて, 今思うのは, このネットワークに描かれているものは「消費する者としての生活者側」の視点だけであった.

つまり, お金を支出する側の視点のみしか考えられてなく, そのお金がどこからくるのか(その人自身が従来型の会社で働いたり居酒屋でバイトしたり?)までは考えていなかったのである.

なにせこれを描いたのが8年前の話. けれど8年経った今, 奇しくも社会システムが大きく変わる契機を迎えている.

 

 

4.「ローカリゼーション」の復興_Ecosystem

乱暴なまとめ方かもしれないが, 前時代とは「グローバリゼーション」の時代であった.

生産者→消費者の二極に分離していたのは, 生産者側が強固なグローバル・エコシステムを築いていたからである.

グローバル・エコシステムは, 生活の場とはまったく切り離され独立した生産活動を可能とした.

このエコシステムにおいては, 過程よりも, 最終的に水準を満たす商品{機能やサービス(価格)や外装}だけが求められた. 前述のパッケージ化は, まさにこの生産体制と相性が良かったのである.

 

オンラインが発展し, 連絡の距離感が無くなり, このグローバリゼーションはますます力を増すように見えた.

そんな中で起こったのが今回の世界的パンデミックによる分断である.

グローバリゼーションはまさに根底から揺るがされている.

 

他方で, これだけオンラインが普及しても, 特にイノベーションにおける場所性・ローカルの重要性は変わらないという説がある.

y-sag.hatenablog.com

今もIT産業を牽引し続けているシリコンバレーにおいては, イノベーターが集まる大学や企業, イノベーターを支えるファウンダー, イノベーターたちの交流の場としてのカフェやバー, イノベーターの製作を支える専門特化型の町工場, これらが集積し, コミュニティを成していた.

 

これこそ, ここで述べたいEcosystem=生態系である.

単に「どう消費生活するか」ではない.

生活, 生産, 消費, 産業, そしてイノベーション. これらがどのように地域の中で絡み合って経済圏を作っていくか, そういうEcosystemを建築・都市として考える必要があると思う.

 

つづく

220 Structure-atmosphere-ecosystem(1)

今, 新しい建築のあり方が模索されている.

それも狭い建築家界隈内の話ではなく, 今後の社会やシステムやまちづくり等を全て統合した話として.

 

1. 前時代_Function-service-cosmetic(パッケージ化)

 

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今まさに崩れ去ろうとしている前時代を振り返ってみる.

 

日本で言うなら昭和から平成にかけて一気に進んだもの.

それは一言で言うと「パッケージ化」だと思う.

これは建築に限った話ではなく, ものづくり全般の話として.

 

パッケージはおおよそ下の3つ

Function(機能・仕様)

Service(サービス・サポート)

Cosmetic(外装・イメージ)

から成り立っていて, 何も考えなくてもこれらが労せず手に入るようにセットになったものだ.

 

例えばハウスメーカー等による建売住宅なら,

Function:寿命の長い重量鉄骨の家, 太陽光発電, 床暖房完備

Service:土地取得・融資から設計・施工まで一括サポート. 10年アフターサポート有.

Cosmetic:南仏のようなレンガ(風)の壁, カスタマイズ可能な設備

ということになり, この総体が商品になるわけである.

 

商店街に対立するものとしてよく描かれる大型ショッピングモールであれば,

Function:食料品から衣料品・家電まで全てそろう

Service:子供預かりサービス, コンシェルジュ

Cosmetic:家族仲良く便利に楽しめる<街>としてのテーマパーク的演出

 

これは何かと言えば, 販売者が消費者に売りやすくする仕組み,

もっと言えば作り手/製造者の不在である.

実はこの仕組みでは, 本質的な部分が一切隠されているのである.

 

 

2.消費者から生活者へ

 

平成の終わり頃, 10年前くらいから, 「生活者」という視点が出てきた.

自分がちょうど就活を迎える頃, 大手広告代理店では,

「いままでは消費者を対象としてきたが, これからは生活者視点でマーケティングしなければ」

という動きがあった. その背景にあったのがSNSの普及だ.

要するに, マスメディアを中心とした一方通行のマーケティングである程度「操作」ができた「消費者」とは異なり, 多角化した情報源とつながりながら自らも発信源となりうる行動スタイルを持つものとして, 新たに定義されたのが「生活者」である.

 

今, この「生活者」について再考が必要と感じる.

相互的にある影響を及ぼし合う, というのが「生活者」視点の考え方.

しかしそこで相互的になるのは情報だけなのだろうか.

 

10年前, 上記のムーブメントで感じたのは, 「生活者」になってもなお, 彼らが何らかのサービスを提供されそれを消費するという部分は同じじゃないか, ということだった.

けれど今, <サービス→消費> という二項対立的な仕組みそのものが, 大きく変わりつつあるのではないだろうか.

 

 

つづく

219 創作の場としての廃墟

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11-1 Studioの整備.

近隣には建築・木工系の町工場が多い.

彼らに分離発注して「技術のショールーム」的な場にするとともに,

自分自身でDIYもしながら仕上げていく.

そういう整備コンセプト.

 

 

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その一環として, DIY用に, ある作業場を確保することができた.

11-1 Studioから歩いて3分.

近隣町工場の一つである材木店.

厳密にいうと, 昨年末に廃業した元材木店である.

ここに在庫として残る木材を一部買取りながら, 11-1 Studioのフローリングや家具としてDIYで使っていこうと思った.

木材を購入したら, 材木屋のおやっさんがこの場所で作業していいよと言ってくれた.

 

 

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下小屋と呼ばれる, 気積の大きな半屋外の土間空間.

元々は, ここで材木を買い付けた大工が, 大きな材木を切断したり加工したりする場所.

波板屋根吹きさらしの非常に簡素な空間.

この場所で, 季節の匂いや風の音を聴きながら, ここ数日, 1人でゆっくりと木工作業をしている.

 

 

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ある1日は春の嵐だった. 

強い雨が波板屋根を叩き, 雷鳴が響いた.

けれどそれすらも, 作業のBGMとして心地良く感じた.

 

 

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池袋という街の中にいる.

ただそれは, 少しだけ, 普通の日常を送る社会からは離れている.

喧騒から離れた, 静かな空間.

でもより強く街につながっている.

その空気の中で作業している.

 

 

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ふと, 数年前RCR ArquitectesのアトリエEspacio Barberiで作業していた時の感覚を思い出した.

Espacio Barberiにも, 天高の高い, ほぼ屋外の廃墟空間があった.

もともとは, 鋳物工場のメインの作業スペースだったのだろう.

 

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間仕切りのない大きな一室空間.

むき出しの木小屋組.

そのまま手付かずの土間.

窓が抜け落ちたままの開口部.

中庭に降りしきる雨は, この空間を雨音と湿気で満たした.

 

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ここも, 隣接する中庭とともに, 街の喧騒から離れながら,

その街の, その自然の, 同じ空気の中で作業してると感じられる場所だった.

 

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何にでも使える空間.

廃墟だから, いろんな実験が許される.

朝, 出勤してから1時間後くらいの休憩時間には, 皆でここでコーヒーを飲んだり.

作業に疲れて少しここの空気を吸いに来たり.

大規模なモックアップを作ったり.

空間体験として生々しく, 今も思い出せる.

その後日本の設計事務所で長く働いたけれど, こういう感覚は全く無かった.

建築家の設計事務所とは言え, 日本の事務所のつくりは「創作」というより「タスクをこなす」のに最適な空間のようだった.

 

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RCRでは, 流れる1日の時間や空気を愛おしみながら, そこからインスピレーションを得て, まさに「創作する」感覚があった.

今もそう. いつ収束するか分からないコロナのため, 急ぐ必要が全くなくなった.

国産杉の材木と向き合いながら, 天候の変化や季節の変化を楽しみながら, 本当にゆっくりと作業を進めている. 疲れれば, このおおらかな「廃墟」を見上げながら休めばいい.

それは「作業」というより「創作」という感覚になる.

 

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国土の狭い日本からは, こういう大きい割にお金を産まない空間は当然消えゆく運命にあると思うのだが, 少なくとも「創作」にはこうした場所が必要だと感じる.

11-1 Studioにも作業場ができるけれど, たぶんそれは狭い.

こうしたおおらかさのある創作の場をなんとか価値化できないか, 日々模索している.