209 『現代の二都物語』 著:アナリー・サクセニアン
副題は「なぜシリコンバレーは復活し、ボストン・ルート128は沈んだか」。
アメリカの二大ハイテク産業都市の1970年代〜90年代の対照的な発展/衰退の地域ネットワークの観点から分析である。
1970年代に軍需産業による発展、スタンフォード大学とマサチューセッツ工科大学という地域産業を引っ張る大学の存在、半導体産業とミニコンピューター産業、そして1980年に迎えることになる産業構造変換による衰退と危機。
非常に似た地域資源・歴史を持つ2都市にも関わらず、1980年代後半にはシリコンバレーは目覚ましい復活を遂げ成長していったのと対照的に、ボストンではその衰退がそのまま進んで行った。
何がその違いを生んだか。
序章で以下のようにまとめられている。
シリコンバレーには地域ネットワークをベースにした産業システムがあり、・・・様々な関連技術の専門企業同士が集団で学習したり柔軟に調整を進めたりできる。社会ネットワークが細かく張りめぐらせているうえ労働市場もオープンなので、実験的な試みや起業家活動が促される。企業は、激しく競争しながら、同時に非公式なコミュニケーションや協力を通じて市場や技術の変化について互いに学びあう。横のつながりを重視するゆるやかな結びつきの組織・・・ネットワーク型システムでは、・・・社内の職能間の垣根はすこぶる風通しがいい。企業と企業の垣根も、企業と業界団体や大学など地域の組織との垣根もそうだ。
「学習」「学びあい」、少し暗喩的だがこれは知財の共有とアップデートをさす。企業や大学は時に最新鋭の設備を導入し、それをオープンなものとした。技術者同士では企業の垣根を超えてコミュニティカレッジやクラブ(溜まり場)など公式・非公式問わず意見・情報交換 が頻繁に行われた。一つのプロジェクトを終えたら、新しいプロジェクトに取り組む為に転職することも日常茶飯事だった。
こうした流動的なネットワーク型システムによりシリコンバレーは新しい技術にも柔軟に対応していったとのことだ。
それに対しルート一二八では、少数の比較的独立性の高い企業が圧倒的な力を持っている。・・・研究、設計、生産、販売などの機能の垂直統合を進めて生産活動の多くを社内でまかなってゆく独立企業をベースにした・・・いわば自己完結型企業の集合体となっているのだ。企業の組織はピラミッド型で、権限は中央に集中していて情報はほとんどの場合縦に流れる。・・・独立企業型システムでは、当然ながら、企業間や企業内の垣根も、企業と地域の組織との垣根も、ネットワーク型システムに比べはるかにしっかりしている。
シリコンバレーが後進的な地域で伝統にとらわれなかったのに対し、ボストンはピューリタン文化がそのまま産業にも根付いていた。血統・家族を大事にし、会社への忠誠を大事にする、いわば終身雇用的な文化。
各企業は独立し、技術や知財もそれぞれが個別に全てを自給可能な体制、そして社内の知財は固く守られていた。
シリコンバレーは半導体産業、ルート128はミニコンピューター産業で1970年代に成長を謳歌し一定の安定期に。しかし1980年代にある変化が起こり、この二都市はいずれも危機に陥った。半導体は日本からの安価・高品質な製品の流入、ミニコンピューターはより小型のパーソナルコンピューターの出現。
いずれの都市も、1970年代後半には同じように安定期に入ったことで標準品安定供給のための大量生産と価格競争のフェーズに移行していた。そして変化に対応できず衰退が始まる。
既存の製品にかけるのは、ルート一二八の独立企業型産業システムの企業にとっては当然のことだった。・・・しかし、シリコンバレーの分散したネットワーク型システムの企業にとって、大量生産への移行は大きな方向転換だったはずだ。当時もてはやされていた・・・「習熟曲線」と「規模の経済」を取り入れてしまった。自分たちのダイナミズムにとって地域のネットワークがどれほど大切かということに気づかず、それを捨て去ればどんな代償を払うことになるかも予見できなかった。
シリコンバレーの企業も大手化して保守化し、イノベーションは起こりづらい状況が蔓延した。
しかしその状況に失望し、退社して新しい会社を立ち上げる若者たちがこの地域の新しい成長を作り出していくことになる。その一つがパーソナルコンピューターだ。そしてそのパーソナルコンピューターの出現が、今度はルート128のミニコンピューター産業を脅かすことになる。
ルート一二八のミニコンピューターメーカーの問題は、実際には業界を支配しようとする中で作り上げてきた自給自足のビジネスモデルそのものにあった。これらのメーカーは、シリコンバレーの半導体メーカーと同じく、既存の製品に賭けて、安定した市場と技術を前提にした組織を作り上げていた。自分たちのいる業界はコンピューター業界であって、ミニコンピューター業界ではないのだという、・・・単一製品の世界観にしがみついていた。
シリコンバレーに新しく興ったコンピューター企業は、「専門化」と「分業・協力」をベースとして発展していった。まさに1970年代にこの地で半導体産業が発展した際のやり方が、形を変えて再生されたのだった。
大手メーカーは、ICの設計も、製造も、組立も社内で行なっていたが、新しいメーカーはほとんどが、設計、製造、マーケティングのどれか一つに的を絞っていた。・・・外部メーカーの手を借りることによって、小規模な半導体メーカーは、製造施設のコストと投資リスクを負担せずに、さまざまな工場を使って自社の設計を最高の形で製品にすることができた。外部の工場を使うことで、往往にして対応も速くなった。
この体制は、コンピューター企業と供給業者との関係にも新たな変化をもたらした。
供給業者を、革新的なシステムを共同で設計、開発、製造していく「パートナー」ととらえるようになったのだ。こうした協力関係によって、顧客の側も供給業者の側も、さらに専門化をすすめ技術を前進させることができた。さらに、専門サプライヤーとの長期的な協力ネットワークのおかげで、コンピューター企業は、競争相手が簡単にはまねのできない強力な競争優位を獲得することもできた。
供給業者を単なる下請けとしてではなく協力パートナーとして組み込むやり方は、相互の教育・イノベーションにつながっていった。
企業はまず、供給業者と長期的な事業計画を交換し、機密扱いの売上予測やコスト情報を相手に教えるところから、この変化をスタートさせた。・・・主だった供給業者は、新製品の開発計画のごく初期の段階から相談を受けることが多かった。実際の生産が始まる二年から五年もの前の、コンセプトを検討している時からだ。そして、設計と開発の全段階を通じて深く関わってゆくことになる。・・・早い段階から顧客と協力することで、供給業者の側でも、新しいシステムの必要条件に合わせて製品を作ることができたし、同時にシステム・エンジニアに部品技術の変化を知らせることができた。
こうして企業単体としてではなく、供給業者含めた地域全体が共に学び、新しい動向を吸収し場合に応じて形を変えていく仕組みができあがった。
こうしてシリコンバレーは1980年代の危機から見事に復活を遂げたのだった。
実は自分がこの本に出会ったきっかけは、ある方からの勧めからだった。
2019年3月、Tokyo DOCANというプログラムに参加し、ビジネスプランをつくりそのピッチを行う機会があった。
自分は、自分の住む家と近所の町工場・商店街に業態上・事業承継上・不動産変換上の問題点に着目し、「商工人のための学び・交流の地域密着の場をつくる」という発表をしたのだが、講評者 鈴木規文氏(ゼロワンブースター)から、この本について紹介いただいた。
読んだ感想として、
まず、シリコンバレーの場合はハイテク産業だが、そこで触れられている「設備・知財の共有」や「専門化と協力・分業」はとても町工場のネットワークに似ている。
周囲の町工場も、「ちょっとこの加工をするにはうちではできないけど、あの人のところにはその道具があるから借りにいく」というような非公式なネットワークがあった。非常にローテクではあるものの、性格としてはとても類似している。
商店街などはまさに「専門化と協力・分業」モデルである。対する自己完結型モデルはスーパーマーケットやショッピングモールということになるだろう。
唯一彼らに足りていないのは、やはり交流であり、学び合うネットワークである。それが欠けているためアップデートが行われない。相互学習がなければ井の中の蛙状態となり、気づけば時代から取り残される、というのが今の彼らの現状だと思う。
ピッチはわずか3分でなかなか全ての内容を伝えるのは難しかったにも関わらず、この本の推薦は的確で、とても示唆に富んだ書籍だった。