218 Tokyo 2.0(ver. y-sag)

Tyler Cowenという経済学者が4/3にブログに書いた記事が話題になっている.

World 2.0 - "There are decades where nothing happens, and weeks where decades happen" - Marginal REVOLUTION

コロナ収束後の世界がどうパラダイムシフトするかを予測しているものらしい.

 

これまでも未曾有の大災害の後には, 必ず社会に大きなパラダイムシフトが起こってきた. 日本にとっては, 前回が2011.3.11.東日本大震災だった.

前回の時, 実は自分はその変化にあまり敏感ではなかった.

けれども, 今改めて振り返ると, あの時点からいろいろなことが変わり, その後10年つまり今の街のあり方, 建築のあり方が形成されてきたのだと, 今更ながらに気づくのである.

 

一方で, 大災害は確かに契機ではあるが, それ自体が変化の理由を作っているわけでもない気もしていて, 実は変化する兆しや動きや衝動はその少し前からあって, 大災害によってその方向性が決定づけられた, というのもまた事実だと思っている.

 

今回の空気感は, 東日本大震災の時とある点で非常によく似ている.

多くの人が, 初めはその事態の重大性を正しく認識しきれておらず, どんどん被害・損害が拡大していき, 気がついた頃には取り返しのつかないほど事態が大きく自分の日常生活に及ぶほどになった. つまり正常性バイアスが働いていたのである.

異なるのは, 東日本大震災が物理的なインフラ=ハードウエアの大規模崩壊だったのに対し, 今回のコロナはよりソフトウエア=人の往来の大規模休止(もしくは崩壊)ということ.

 

今回のこの変化の契機をきちんと観察するため, 上のWorld 2.0にも触発されつつ, 自分なりのポストコロナ後の東京圏(まちづくり・建築界隈)で起こるパラダイムシフトを予想してみたいと思う.

名付けてTokyo 2.0 (ver. y-sag).

 

1. 地域のあり方:公共建築の時代が終焉する

これまでは行政発注の大きな公共建築が, 地域の暮らしを豊かにする機能を担ってきた.

これからは, 地域の住人が自主的に作る点在する小さな公共空間がその役割を担う.

地域の住人が作ってくれる上どこの行政も財政難なので, 行政はわざわざ公共建築を作る必要がなくなる. ただし, 特に人口の少ない地方では引き続き行政が公共空間にテコ入れする必要が存続していく可能性はある.

 

2. 仕事のあり方:オフィス建築の時代が終焉する

テレワークが多く実践され, 誰もがこれまでは当たり前と思ってきた朝満員の電車に乗って都心のオフィスに通う生活の異常さに気づいたはずである.

働き方は, 都心集約型から近隣生活圏型に, 企業単位からプロジェクト単位に変わる.

これからのバリューは, 会社名ではなくプロジェクトになり, 誰とやるかになる.

企業を企業たらしめていた都心のオフィス建築は不要となり, プロジェクト単位で柔軟に集まれる場所, プロジェクトのネットワークをすぐ組める場所, プロジェクトを含めた生態系(エコシステム)に組み込まれる場所が求められるようになる.

 

3. 街のあり方:飲食店の非固定店舗化が進む

駅から○分の良い立地, 良い条件の居抜き物件を探し, 家賃と敷金礼金を支払い, 内装工事を施して, 店先に花輪祝いを飾り, 晴れて固定店舗としての「自分の店」を持つ.

けれど今回, そんなあり方の非効率な部分, リスキーな部分が顕在化した.

今後増えてくるのは, 固定店舗を持たず, 時と場所を変えて自分の店を構えるノマドのような飲食店起業者たち.

そのインフラとしての「営業許可付きシェアキッチン」は既に全国に揃いつつある.

違いは, これまでが開店前の起業者向けだったのに対し, これからはそれ自体が彼らにとっての「開店」になるというところだろう.

 

4. 消費のあり方:カスタマイズ・半生産が好まれるようになる

価格も評判もスマホ一つで調べて比較できてしまう時代.

製品が故障して修理したい時, 正規のカスタマーサポートよりネット掲示板の方が役に立つことが多くなってしまった時代.

メーカーとか製品とかサービスとかの存在価値って何なのだろう.

一つ指針となるのが, この先はあらゆる分野でオープンソースな製品・サービスの時代が求められるだろう, ということ. 製品としての完成度より, その後の展開や応用の方が求められるのではないかということだ.

IT分野で既に一般的だが, それがIoTに拡がって物的製品にも適用される今, 求められるのは汎用性かつカスタマイズのしやすさの両立であり, そのわかりやすさであると思う.

一見これとはつながりのない, 建築・まちづくり分野においても無縁のものではない.

 

5. 建築のあり方:提案型というより誘導型になる

こんな時代の建築や建築家のあり方はどうなるだろうか.

「公共建築の時代が終焉する」となれば, 建築家に求められるのは行政長や教授等権力者を納得させるカタチの提案力ではなく, 非常に微細な地域の人々の方向性を組み上げて形にしていく関係性への誘導力かもしれない. 

※これはコロナ以前以後に関わらず10年前くらいから建築界の動きはずっとこうである.建築にとってのカタチや空間の重要性はもちろん変わらないし, 「ハードよりもソフトが重要」ということを言いたいのではない. 提案型ではなく誘導型の時代になった時, 必要とされる建築のカタチや空間はもちろん変化するだろうということを言いたいのである.

 

生態系(エコシステム)というのがそのキーワードな気がしている.

ただし, 自然共生型のエコな建築を作ろうという意味ではない. ここで言いたいのは街や周辺の産業など含めた, 非常に多様なものが混在する社会的な生態系のことである. 

 

身近なものとして, アクアリウムをイメージしてもらいたい.

鮮やかな熱帯魚たち, 彼らの隠れ家になる様々な水草たち, その水草の陰でひっきりなしに砂を吸い込んで吐き出すハゼの仲間たち, 水中の排泄物を食べて綺麗にする貝の仲間達. さまざまな見た目・様々な役割の生物達が一つの環境に共存し, その環境作り自体に参加している.

どんなバランスでどんな生物や植物を配置して, 水温は何度くらいにして, 彼らが生き生きと泳ぎ長生きする環境を作り出すか.

 

提案型の建築とは, 言ってみればいかにかっこいい水槽をデザインするか(だけ)だった.

しかしこれからは, その水槽の中に作り出される環境こそがデザインの対象なのだと思う. もちろんコントロールする対象が多様な生物群なので100%は思い通りには行かない.少し水草の種類を変えたり, 試行錯誤しながらだんだん最適な状態が作られていくことの方が多い. 

 

いかに彼らに素晴らしい環境を作ってもらうか, それは誘導的に行なっていく部分が強いのだと思う.

え、それは建築家の役割では無いのでは, って? いや, 水槽のデザインから自分でできてしまう建築家だからこそ, 面白いものが作れるし, やるべきだと自分は思うのだ.

 

最後少し抽象的になった.

何れにしても, コロナ収束後何らかの大きな変化がジワジワと染み込んでいくはずである. 自分はそれは非常にポジティブな変化になると, 現段階では信じている.